プライドなんてものがあるから、人を人と思えなくなる

 ボコスカウォーズ金曜日。今日は一日お休みをいただいていたので、久しぶりにお家でゆっくり過ごしました。行く機会がなかった病院にも寄ったり。小説は読みませんでしたが漫画は読みました。当分は積ん読を消化するまで新しい本は買わない方がいいかなぁ……ネットをやっていると本を読む時間とかがどんどん失われているような気がします。僕の気のせいかな。


 世間で起きている騒動にふと思い、「『負け犬の遠吠え』が書かれた理由なんてのを読んでみた。曰く、未婚、子ナシ、30代以上を「負け犬」と定義しているようで。今年で25になる僕はそろそろ焦り始めてきたんだけれど(そういう問題ではない)、この『負け犬の遠吠え』という本の著者はあくまでも自分自身を『負け』と宣言している。ある意味では『幸せ』を求める競争社会からおりた、と言い換えることが出来るんじゃないでしょうか(杉田かおるさんや久本雅美さんなんかも同じスタンスなのかも)。それよりも僕は女性漫画誌の特集で『勝ち組になりたい!』なんて堂々と書いてあって愕然としたものです。結局の所、『勝ち』『負け』の定義だけが一人歩きしてしまって、『○○だから勝ち』『××だから負け』という言葉が普通に使われているのです。だから、勝ち組の定義ってなんなんだよ。結局これって昔あった『学歴社会』だの『三高』だのが復活しているのに過ぎないのだと思います。『フリーター』や『ニート*1が叩かれているのもその文脈なのかも知れないなぁ。『一流企業』に就職しなければ負け組、『学歴』が高くなければ負け組、まぁぼくらは負け組なのだから仕方ないや、というように既に競争社会が既にそっぽを向かれている現実を誰も意識していないんですよね。なんか日本版競争社会が『自他共栄』、つまりほめられて才能を伸ばすというのではなく、他者をけ落として進む形になってきている。この先『勝ち負け論』が続いていく限り、親も学校も学力という観点からしか子どもを見られないでしょうし、ただ社会的地位にのみよってその人物の価値が決まるという、まるで数十年前に逆戻りしたような社会通念が築きあげられていくような気がします。だとすれば、最後に行き着くところはバブルであったり失われた十年であったりするのかなぁ、と思います。歴史は繰り返すんでしょうね、それが「過ち」と呼ばれるものである限りはなおさらに。という訳でおもむろにトラックバックして今日はおしまい。

4062121182負け犬の遠吠え
酒井 順子
講談社 2003-10

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4334933394内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)
城 繁幸
光文社 2004-07-23

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*1:学生でもなく、フリーターでもない人々。確かに僕も働かなければいけないと思って働いているし、どこかで勤労の義務は果たさなければいけないと思うが、何もせず甘やかして、本人たちの叫びに気づかなかった人にそれを批判する権利があるだろうか?