白色のドクターペッパー(色シリーズのタイトルに希望するのか?)

 やられ気味土曜日。なんか体調がおかしいとこんな風にやられた感じになります。どうやられたか?……まぁ、見れば分かるとは思うのですが、ぐでーとかそんな感じ。文章で表すのは難しいな。


 世界一受けたい授業を見ていて、出演者の方々が「なんだよー覚えなおさなきゃ行けないのかよー」と口々に言っていたのが印象的だった。この辺に『新しい歴史教科書』騒動の遠因があると思うし、歴史学習自体が受験勉強のためだけの暗記項目と見なされている以上、歴史教科書問題に終わりはないのかなぁ、と思います。僕もアヘン戦争の頃の中国の項を扱うときなんか、教え子に中国系の子がいて、「中国のことをあまり悪く言わないでください」とか言われて、困惑した記憶があるなぁ。どの視点から捉えるかでも変わってきますし、そんな評価が曖昧な物をテストや試験にかけてどうする、という感じがするような気がするのです。僕は歴史認識がどうあれ、歴史の流れ自体を重視した『つくる会』の姿勢は評価すべきだと思うし、逆にそれは他の教科書会社や文科省の方針にも影響を与えているような気がするのです。もっと多様な認識から物事を捉えることが、社会科の本質だとは思うんだけど、と元社会科教員として思います。


 そういえば徳川家康も二種類ぐらい肖像画があって、一つは有名な狸親父の画像なんだけど、もう一つはこれ。

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 確かなんかの戦いで負けたときのじゃなかったかな? 良く覚えてないですけれど。しかしながら、やっぱりこれが公式の物として残っていないのは理由があるからなんだろうなぁ。


 それから、昨日の話の中には上野の西郷さんの話が出てきていましたけれど、韓国の人にとって西郷さんは武力で我が国を侵略しようとしたにっくき敵になっているはずで、韓国の運動家の人たちは「戦争を反省したはずなのに韓国の主権を侵そうとした男を恩賜上野公園に飾っているとは何事だ」とか言い出せばいいんじゃないかなぁ、と思います。


 ただ、この西郷さんは征韓論を主張していないと言う説もあるらしく、お互いによく調べないと歴史の本質は見えてこないんじゃないかな、と思うわけです。いろいろな視点で解釈してこそ『歴史』なのだと思います。歴史は勝者が自分の思い通りに記していくものなのですから。