ファンキー仏陀

 満たされない金曜日。最近ではどこもかしこも『盗作騒動』というのが持ち上がっていて、盗作が話題になってるな、と思って元をただすとまとめサイトなんてのが載っていたりする。そこに書かれている文言として、必ず著作権法32条の引用規定があるんだけれど、ここまで騒動自体が頻発するのを見るにつけ、引用規定を免罪符にして色々無理矢理印象操作してないか? という疑問も起きなくはないのです。どこのブログかは覚えてませんが、厳密なオリジナルは存在しないというのがあって、僕もその意見には概ね同意だったりします。物語の形態は全てやり尽くされたといわれる現代において、何の影響力も受けずに物語を構築することは決してたやすいモノではないわけです。まぁ、世の中にはハイパーナチュラルに自分の世界を展開する人もいるでしょう、ですが、物語が氾濫する現代、それを無から作り出すのは難しいわけで、結局は他人の言葉だったり、他人の物語だったりから影響を受けて物語が作られるのだと思います。


 で、それを新しい物語として換骨奪胎し、自分のオリジナリティを加えたものが世に認められていくのですが、問題はその『物語の影響が大きすぎてしまった場合』に盗作認定を受けるのじゃないかな、と思います。更にいうなら、その検証が容易になったという点で、クリエイティビティな仕事をする方はそういう『盗作の誹りを受けるリスク』を多大に負うようになった、ということです。


 こうした騒動の悪循環というのはここまで情報伝達が発達してしまった今では、止めることは不可能でしょう。問題はここからで、何か問題になった場合自分の仕事に責任を持ち、場合によっては引退も辞さない覚悟を負わざるを得ないのかなぁ、と思います。クリエイティブに関わる人口が増えている今、決して避けては通れない問題な訳なのですから。