言葉に出来ない、言葉にしか出来ない

 毎日更新再開から6日、意外と続いてますね土曜日。2007年の僕の目標は、原則日記を休まないなので、なるべくガシガシ書いていこうと思います。書いてみないと分からない事ってあるよね。


 書いてみないと、で思い出したんですが、先日星見月夜さんコミケのお礼を兼ねてメッセ談義してました。しかし、創作に対する姿勢は人それぞれと申しますが、やはりこういうお互いの価値観を付き合わせてみると、自分の気づかなかった面が見える、というのはブレインストリーミングの面白いところであります。星見さんがいきなり核心を突いて話を始められた時なんか、ちょっとどきっとしてしまいましたし。ただ、お互いの共通認識というか、深いところで「書きたかったら御託並べる前にまず書こうや」みたいなのがあったのかも知れません。だから意見の相違はありつつも楽しんで会話出来たというか。またじっくりお話ししたいですね。


 僕自身にとって「小説家になりたいから投稿してます!」「小説で食べていくために頑張っています!」「漫画で食べて(以下略)」という人間は、正直言ってあまり信用出来ないのです。別に専業作家が悪いと言っているわけではなく、『小説だけすること』が一歩間違えば自分の人生経験を空虚にする可能性があるから。教員も一緒ですね。高校出て、大学出て、そのまま教師になって、社会人というものを知らずに、子どもたちにどうやって教えることが出来よう? てなもんである。今話題の「元落ちこぼれ教師」とされる方々は、その高校・大学時代に社会経験に匹敵する人生経験を持っている。しかし、その逆に人生経験をあまり経ずに教員になる人もいるだろう。もちろん、現在のような教員採用氷河期という視点で見れば、試験で落ちた教員の卵は、一年間市井に出て、しっかりと経験を積むことが出来る。まぁ、それが良いかどうか分かりませんが。閑話休題


 で、『いきなり小説家』というのも僕は結構疑問を感じている。経験とは、いわば他者を説得するための道具に過ぎない。別に高校生→作家、とか大学生→作家、が悪いとは言わないが、経験、即ち自分の持ちネタを増やせなければ、そのうちに手の内を看過され、大量の一発屋の群れに埋没してしまう。そのために、小説家は取材というものを行っている。自分の物語に深みを増すためだろう。


 とはいえ、僕の念頭にあるのはその埋没する不安であって、小説で飯を食えるなんて思ってはいない(そんなことを言うと、作家志望の皆様に怒られてしまうかも知れないけれど)。だから、あまり積極的に投稿すると言うことも考えていないし、むりやりデビューしようとも考えていなかったりする。今はネット小説の新作が書ければ満足なのだ。もちろん内容に満足するつもりはありませんが、環境に限って言えば、最高としか言えませんね。


 だから、ものを書こう、という人はある程度下地を作っておかないと、あとで大変なことになるかも知れませんよ……とか、そういう話なのでした。