匿名は権利でも暴力でも何でもないんだけど

 不自然な水曜日。年末のアリス缶詰からようやく落ち着いて、新作に取り組もうかな、という意識が芽生え始めてきました。昔出たシナリオ書換については連絡を取らないでいたら音信不通になってしまいましたし(もう時効だよなぁ……)。こうなるともう書く書く詐欺とか言われそうで、そろそろ襟を正さなきゃいけないな、とは思っているのですが……。


 しかし、インターネットでは何故匿名だ実名だという議論が後を絶たないのだろう。なりすましによる個人確認の方法が取りうる以上、僕はインターネットとは匿名が当たり前で、それは権利でもなんでもなく、単なるベースとなる物事に過ぎない、と思っている。サイバー大学Webカメラによる個人確認を行っている、という話をしてるようだけれども、Webカメラでもなりすましが行える以上、本気で個人確認をするんだったら本人を呼び出して試験を受けさせるのが筋だろう*1。少なくとも僕が受けた二つの通信制大学では定期試験の会場を全国に設け、筆記試験を行っていた。それくらいのコストを大学側も支払うぐらいではないと、教育における相互コミュニケーションの第一歩にも至らないのではないかと思う。話が逸れた。


 で、僕はネットを辻説法の場だと思っているから、もしそれがトンチンカンな発言であった場合は石を投げられるし、ネットに置き換えて言えば炎上であったりするんだろうと思う。ただし辻説法とブログ更新の違いは記録として残るか残らないかではあるだろう。ネットにものを書くというのは、その性質からして必ず記録に残る。例えブログが炎上して鎮火したとしても、その炎上した記録は絶対に消えることはない。

 だから、実名というのはある意味権利である。権利には何らかのリスクを伴う。実名で発言すれば、その『名前』のハクはついて回るし、その逆もしかりだ。「あのスレの543番が言ってた」よりは「○○さん(とあるアルファブロガーとする)が言ってた」の方がよっぽど影響力が強い。

 とはいえ、有名なスレの>>1や「電車男」などの「匿名から実名化した人々」には凄く興味はある。実名化と言うよりキャラクター化なのかも知れない。有名人(ネットでのそれも含めて)にはそれぞれの共通認識というかキャラ立ちみたいなものがあって、そのキャラはどうしても匿名の人たちに比べれば良くも悪くも目立つ。


 僕にとっては実名を公表してものを書いている人が匿名性を攻撃するのは腑に落ちないし、余り納得が行かない。実名を公表した人はそれだけの権利を行使出来るのだから、匿名でものを書いている人のことなど無視しておけばいいのだ。それでも、匿名の人の話が気になってしまうのは、それはなんだかんだ言って自分自身も「世間の評判」みたいなものが気になっているからじゃないかな、と思うのです。

*1:もっとも、「替え玉受験の可能性があるじゃん」と言ってしまえばラチがあかないのではあるが