いつから視聴者は復讐者になった?

 もやもや火曜日。先日時事ネタ封印といったにもかかわらず、どうも自分の中で凄くモヤモヤしたものがあって、たまには時事ネタにも触れたいと思う。


 山口の殺人事件の高裁判決が出た。誤解のないように始めにいっておくと、考えられる限りの真っ当な判決だと思う。差し戻しとは言え高裁判決だし、死刑判決だから被告人の取り下げがない限り再度最高裁で争われるだろう。……責任能力の有無がなんだかんだ言ったって、この事件の争点は最初から18歳1ヶ月の少年に死刑を下すか否かだったような気がする。変な議論をこねくり回すよりも、最初からこの点に絞って議論を繰り返していれば裁判の行方も変わったかも知れない。もっとも、この事件の残虐性がそれで薄れるわけではないのだけれど。この事件が僕を悩ませることの一つに、この事件の犯人が僕と1つ程度しか歳が離れていないということがあった。同世代、というのは妙な感覚を持ってしまうものである。とはいえ、どんなにオブラートで言葉を包んでも、レイプ殺人犯である彼の行動は正当化されるものではない。

 ただ、その一方で、事件の裁判が何か弁護団対一般市民の場外乱闘みたいな感じになってしまって、何だかなぁ、という気持ちにならざるを得なかった。被害者たる本村さんが非常に冷静かつ沈着になっていくのに反比例するかのように、この場外乱闘だけが広がっていく様子、というのは見ていて本気でどうなのかな、とすら思えてくる。


 例えば、先日BPOから報道が被害者寄りだという話が出て*1Yahoo!ニュースにも掲載されたのだが、その中で「BPOふざけんなよ」というコメントが多数書き込まれていてモヤモヤしたのを覚えている。日本人の感覚では容疑者=真犯人、というイメージが強すぎて、悪人に人権無しという部分が少なからずあるが、裁判は基本的に「推定無罪」である。だから、BPOとしては当然の仕事をしたまでだし、感情に流されすぎないように、と諫めたのだろう。

 外野だけが感情論で話し、というのは正直どうなのだろう。別に自分の意見を公表するな、と言っているわけではないが、シュプレヒコールのごとく声を上げるべき場所を間違えていないだろうか?……少なくとも僕はそう思う。


 今回の判決が今後の判決に影響を及ぼすか?……という問いは全くの愚問だと思う。司法は自ら為すべきことを粛々と進めたのであって、少なくとも外野の声に左右されるべきものではない。というか、それが司法なのではないか。外野の声を無視出来なかった、ってのはあるかも知れないけれど。

 そして、我々のほとんどは、誰も少年の顔を見ていないと言うことを肝に銘じておくべきだろう。裁判は自説展開の場でもなければ、復讐の場でもない。弁護団にも非はあるだろう。しかしながら、僕たちは少年の顔も見ずに、一人の人間を殺すべきだ、と言い続けてきたのではないだろうか? 対岸の火事だからこそ、そいつの人権はない、と言えるのではないだろうか? 少なくとも、僕たちは復讐者ではないし、復讐者であるべきではないのだ。もしそうだとすれば、それは社会の方が間違っているのかも知れない。


 どんなにこの件について語ってるブログを見て回ってもモヤモヤは収まらない。決して一件落着などではないし、裁判はまだ続く……が、そういう意味ではない。この事件は初めから、人間の負の感情をむき出しに見せられ続けた事件だからかも知れない。それは被告であり、本村さんであり、弁護士であり、そして我々自身。どうやら今夜はあまり眠れそうにない。

*1:もちろん、それ以前に報道の重心をどこに置くべきなのか、という問題はあるが。