教育相談研究会っぽいもの

というわけで、Education in Crisisのきくちん兄さんとサシで飲んで来ました。あの人はどーかとか、うちの学校はどーだとか、そんな話をしたり。自分も悩んでいる時期だったので、結構すっきりしましたね。自分を見直すとか何とかそれ以前に、話を聞いて欲しかった。実はいやされたかったのは自分なのかも。


以下きくちん兄さんの掲示板に書いたこと。

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昨日はこちらこそお付き合いいただきありがとうございました。自分も色々思うところがあったとはいえ、まだまだ解決していないことが多く、これから先どう子どもたちに接していくかなー、とかうんうんと唸ったりしております。まず自信をつけないと。


僕は初めての小学校だったり担任だったりして不安なところもあって、自分の思うようにできないというのは確かにあったなー、と思います。ネタがあってもテンポが元々遅いのでなかなか進まないというか。ただ、具体的な場面に落とし込む、というのは早速やってみようと思います。今現在、学級のルール作りをしている最中で『一人一人をかがやかせていこう』といったら『それ先生が勝手に言っていることじゃん』と言われてしまって……(苦笑)。結局子どもたちに『どうなったら自分がかがやいたことになるのか?』というのがみえていなかったのが原因だとは思うのですけれど。自分が何をしているのか、何をしたいのかが見えていないのかなぁ、とか思ってみたり。それは自分も同じで、未だに子どもたちに何をさせたいのかが見えていない。それじゃ子どもたちの心を育てようとしてもうまくいかねーよ、とは感じています。うーん、やっぱり考えすぎだ(笑)。


そのなかで、きくちん兄さんの教師観とかそんな感じのものを聞けたので、自分としてもとても気が楽になったかな、と思います。特に彼1のエピソードを生で拝聴したときには本気で泣きました。道徳って子どもたちの心を揺さぶってこそ初めて意味があるんですよねぇ。ですから、たとえ研究の意図が変わろうと(いや、道徳なんですから心の広がりが一番大事なんですけれど)子どもを認めてあげられる、と言う行動力がすばらしいな、と。認めてあげるタイミングなんでしょうね。


昨日の話の中で『教師は五者たれ』という言葉が出たので最後の一つを調べたら「行者」でした。つまり、親父の背中を見て育つと同じ論理で、教師の背中を見て子どもたちは育っていくということなのらしいですが。小中学校の期間はどうしても親と同じくらい教員に接する時間が長くなるので、教員も自分のありのままの姿で接していくしかないのかも。きくちん兄さんの『教師は料理人である』というのもすごいいいなぁ、と思いました。まだまだ教師に対する一家言みたいなものはないので(あったらとっくに合格している!)、行動で示していくしかないのでしょう。


まだまだ本も読みたい絵も書きたい小説も書きたい教師もしたいと好奇心の固まりなので、サイトは一時休止したもののいつかは復活させたいなと思います(と言いつつ実は裏でこっそりとやっています。更新頻度は下がったので以前のような強迫観念が無くなり、そろそろまた書いてもいいかなぐらいに思い始めていますが。ただ、今復活宣言すると前にサイトバレした実習校の先生に怒られそうなので(苦笑))。そーいえば小学校来てから絵描いてないっすよ!(中学校のときはあんなに頻繁に描いていたのに……)早速ちょこちょこと本性を現してみます(いいのか?)。まだまだ語りたいことはあるのですが、それはまた次の機会に。


本当にありがとうございました。きくちん兄さん(なぜか兄さんって言いたくなってしまう……)もどうか体には気をつけて。ゆるめることも大事ですよー。ではでは。(750文字を越えてこのままでは永遠に長くなるので(笑)、書き足したいことは自分の中でまとめておきます……長文失礼しました。)

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ここから先は自分の思うところ。

『教師は五者たれ』で検索して、琉球新報のサイトからこんなのを見つけてしまったんですが、『学者・医者・易者・役者』まで来て後一つが出てこなかった。

で、その時は『愚者』じゃないかなぁ、と勝手に思ってしまったのですよ。ただ、『愚者』といってもタロットの愚者のようなもので、何も知らない状態を指す訳です。それは決して『バカ』という意味ではなく、真実を本当は知っており、その真実のために自由奔放に動くことができるのです。そしてそれはものの完成を表す『世界』と対峙する存在なのです。

んで、僕としては『教師』というのはこの『愚者』みたいなものではないかと思うのです。常にフットワークが軽いことが求められるというか。勝手な解釈ですけれどね。


きくちん兄さん本当にありがとうございました。また飲みましょう。