気楽な日常の冒険

 3日間が過ぎて土曜日。さて、3連休ほど僕はお休みをいただいていたのですが、その間何をしていたかというと腹をこわしました。なんだかなぁ、というオチですが……。『柄の先の熊』は凝りすぎている面もあってなかなか進まず。3日ぐらい〆切遅れそうだなぁ……。それってどうよ。


 某氏から大量の漫画を譲り受け、選別作業に入っています。既に僕の本棚スペースは限界を迎えているので、何とかしないと行けない雰囲気(てか、既に弟の分の本棚を浸食しはじめていたり)。確定申告の書類もかき集めないと……。今週はあまり動きませんでしたからね。動きたい、動きたいと思っていても思っているだけだったりするのが人間の性なのかも。基本的に僕は明日出来ることは今日するなぐらいの精神で行っていますからね。出ないと根を詰めすぎるところがあるのですよ。詰め詰めでやってもどうにもならない、というのはここ2、3年で悟ったことでもありますし、だとするならもっと悠々自適に生きないともったいないな、とも思っているのです。別に『働いたら負けだと思ってる』わけでもありませんけれど、働かなきゃ働かなきゃ……と思っていてふと立ち止まったとき、精神的にボロボロになって得られる幸福って何だ? と考えたのです。特に教育という場面では『リーダーシップ』とか『マネジメント能力』というのが重要視されるわけで、教員はいわば会社で言えば上司に当たる立場なわけで。もちろん生徒たちを貶める意味で言っているのではないですけれど、なんつーか、教師には教科知識よりもまずコーチングとかマネジメントとかそういう意味合いのものが求められているのかな、と思います。少なくとも僕にはこの分野ではまだまだ自身はないし、経験がなさ過ぎる(それ以前に人間関係で苦労する人に向いているのか?)というのがあって、教育の世界から離れようと決心したのがあります。未だに採用試験の本を買ったり、数学の免許を取ろうとしているのが未練なのか惰性なのか分からなくなりつつありますが。


 人は「ほめる」ことによって伸びていく部分というのはどうしてもあって、それがモチベーションの向上に繋がることはよく知られている。ただし、ほめると言っても「どこがよいのか」「どのようによいのか」が明確に示されていない限り、それはほめられた人にとって「自身が認められた」ということに繋がらないのかな、と勝手に思います。人を注意するときどうしても「ほめる」というスタンスよりは「欠点をあげつらう」ということに思考が向きがちで、しかも一度付いた印象ってなかなか変えられない。だから、注意しながらも「あいつはあーいうヤツだ」という先入観が付いてしまったりする。で、その先入観を変えるためには「先入観を180度変えるほどの衝撃的なイメージを作る」もしくは「誠意を見せ続ける」しかないんでしょう。たとえば先日盗作報道で謹慎した元モー娘。の某嬢は復帰したものの、ネットの調査なんかだと「まだ反省が足りない」としている。NHKも数年前の不祥事が明るみに出て「またか」といわれるし、朝日も発言をするたびに「またアカヒか」と冷笑されるし、三菱のブランドイメージもほとんど地に落ちてしまった。世の中には「100-1=0」という言葉があって、一度不信感を与えるとその信頼を取り戻すのは不可能に近い。僕だって嫌いな人いるからね(本人には言わずじまいの所はあるけれど)。僕自身、何言われているか分かんないところはあるけれど(何を言われてもいいけれど、自分の目の届かない範囲で言っていて欲しいと思っている)。


 じゃあどうすればいいかっていうと、地道な努力しかないんだろうと思います。あとは月日が解決してくれる場合もあれば、解決してくれない場合もある。解決してくれ無さそうな場合、「僕とは縁がなかったんだな」と割り切ってしまうのも一つの手だと思う。相手がコミュニティだったら、思い切って脱退するのが一番だ。そのコミュニティからは村八分にされたのだから、新しいコミュニティを見つけていけばいいんじゃないかな、と僕は考えます。それが唯一絶対の価値じゃないわけですし。


 ただ、そうであっても一番やっかいなのは自分が疎まれていることにすら気づけないタイプの人だと思います。道路公団の前総裁みたいな悪役に徹した人はともかく、タイミングを逃してしまう人、あるいは空気が読めない人というのが当てはまるわけです。僕自身も結構空気の読めない人ではあるのですが、そういう人は頭が悪いとか鈍感だとか言われていくわけなんですけれども。齋藤孝さんがこの空気を読む力のことを文脈力と定義づけていて、これが頭の善し悪しに繋がると言われています。頭の善し悪しってのは最近出版界でもブームで、「どのような行動がバカに見えるか、どうしたらバカに見られないか」という本が続々出ていたりします。つまり感情に訴えるシーンと論理的に伝えるべきシーンをその場面場面に応じて使い分ける、あるいは断片的な情報の中から相手を納得させる(説得する、ではなく)話を構築する能力があるのかどうかが今後問われていくのかな、と考えたりしているのですけど。一度空気を読み逃してしまったら、その場を離れることも必要なわけです。しつこいだけでは嫌われますからね。話題の取捨選択をどうするか、というのも今後の課題なのだと思います。僕は頭の回転があまりよろしくないからなー。気をつけないと行けません。


 そんな感じで本日はおしまい。