ミステリなひとり(斎藤一人のことじゃないだろうな?)

 斎藤一人さんとは「スリムドカン」のまるかんの社長です土曜日。とりあえず色々一段落して透明な週末に。原稿はまだ結構たまっているんですけれどね……(遠い目)。以前の原稿のリライトを中心に色々行っていくつもり。そういえば向こうの人と連絡余り取ってないけどどうなってんのかな……うーん。


 今回の『回廊』では感想宣言*1を打ち出し、読者からの感想をとにかく募っていこう、という方針を打ち出している。しかし、『感想』というのは本当にもらえないものだろうか? と思いつつネットサーフィンをしていると、HMC-本格ミステリクラブ(似非)-を主宰されている根子さん似たようなことを書いていたのに気がつきました(編集長はここからヒントをえたのかもしれないし、ただの偶然かもしれないけど)。どちらでも気にされていたのがヘリオテロリズムにおける交流の活発さである。あんな風に感想書いたり書かれてみたりしてみたいなぁ、と思うところは『葉山響の法則』のごとく、プロ作家に限らずオンライン作家にも同じことが言えるんじゃないかと思います。


 感想をどうやったらもらえるかという話から少し離れて、何故『ヘリテロ』なのかを考えたときに、僕は『もえかん(仮)』で作者同士が感想を書き合った構造に似ているな、と僕は思う。というより、『ヘリテロ』はある意味『もえかん』の後継なのかもしれない。お互いがサイトを持っていることもあり、サイトを持っているもの同士がその交流の一環として作り上げたのが『もえかん』だったりして、それが文芸誌へと昇華していったものが『ヘリテロ』のような気がするのだ(だとしても、必ずしももえかん陣とヘリテロ陣はメンバーがかぶっているとは言えないけど)。例えが分からない人には、昔の大手テキストサイト同士の馴れ合いの構造を思い起こしていただくといいかもしれない(ちょっと違うかもしれないけど)。


 だとすると、『同人誌の感想を書き合う』という構造はある一つの『サイト同士の馴れ合い』の一つだと思うし、一つのポータルサイトから作者同士が交流を深めると言うことは珍しくない。『ヘリテロ』の感想の書き合いの構造というのは、その一つの形態であると思うのだ。しかし、読書サイト管理人同士の交流という側面を持つ『ヘリテロ』に対して、元々感想を書かず、作品を発信する人々が集う形の場合、そもそも『感想を書く』という土壌がないから、それを今度は作り上げていきたい、と考えているのではないかと思う(僕の考えと違っていたら申し訳ないが)。


 もちろん僕は感想を書き合うことを否定している訳じゃないし、作者の交流を否定するわけでもない。しかし、その結びつきがコミュニティの活発化に繋がっていると言えるわけで。だからといって感想を強要することはできないし、そこはお互いの自由意志によるものだと思う。感想を求めたいなら、それこそマーケティングと、魅力的なコンテンツを提供し続ける必要があるだろう。個人サイトだってマーケティングを必要とする時代になったのだなぁ、と思います。


 以上、感想について書いてみました(かなり話がまとまっていませんが)。それから、かすりさんに拙作『20には帰れない』の感想をいただきました。少しどきどき。ありがとうございました。

*1:ちなみにHTML版では勝手にこのエントリにリンクをはらせていただいているが、このエントリが感想リンク集約センターになればいいなぁ、と思ってのことである。


PING//
TITLE// ヘリテロひらがな2文字!!
URL// http://d.hatena.ne.jp/sinden/20050417#1113721194
BLOG NAME// 雲上四季
DATE// 2005-04-17 11:20:46 PM
 で、興味深いのは参加者同士が感想の書きあいをしているだけでなく、自作語りを行なっている点です。と、マコチさんにトラバを飛ばしながら。ところで、自作語りって、自分語りから来てるんですかね?