このブログのテーマは「無理しない」ですから

 ごゆるりと日曜日。先週の岩漫では、反応してくれたのが火野喜一さんしかいなかったので(苦笑)*1、とりあえずスクリーンショットアップロードしておきました。たけふるさんはこちらでごゆっくりご覧下さい(笑)。




 本屋大賞が決まって、色々物議を醸し出しているようではありますが、第一回、第二回と進んでいく中で、本屋大賞の権威化と、同時に本屋大賞そのものが、「本屋による発掘大賞」であるという誤解の広まりが、主宰者と読者の齟齬を生み出したんじゃないかなぁ、と思います。


 今更思うところではありますが、MAQさんおっしゃるところの無制限一本勝負書評家大賞ってのは、すでにミステリチャンネル闘うベストテンとして行われているわけで、むしろ僕なんかは今回の本屋大賞に失望した人はコレを見ればいいじゃん、なんて思ってしまうわけです。あとは「本屋が売りたい本」=「本屋がお薦めしたい本」である以上、ある意味仕方のない結果なのかな、と思います。あとは即ち、読者の人が判断すればいいだけのことですから。


 そしてもう一つの権威化の側面。それまで『東京タワー』は無冠の名作と評されてきたわけです。それに『博士の愛した数式』『夜のピクニック』で「本当に面白い本に与えられる賞の一つ」に数えられるようになった本屋大賞が与えられた事は、一種のハク付けになったんじゃないかなぁ、と思います。正直言うと、これが良い事なのか悪い事なのか分かりません。それまでマイナーな作品に光を当てよう、という賞が、その後のマスコミの露出度や映画化によって、一つの権威ある賞になってしまったのですから。こうして権威化してしまった以上、既にベストセラーになった賞が受賞する、というのはある意味必然だと僕は思います。


 ですが、最も読者に近い人々が投票するものである以上、その読者にそっぽを向かれてしまうのかどうかによって、この賞の今後が決まっていくのでしょう。「芥川賞」「直木賞」の文字によって本を買う人がいる一方で、文学賞メッタ斬りの方々のように、真に面白いものを発掘しようと言う方には、この「本屋大賞の大衆化」には(人によっては)嫌悪感すら覚えるものなのでしょう。そのような方は、結局自分で面白い本を発掘していくしかないでしょうし、そしたら上記のような闘うベストテンの方向性を模索していくしかないのかなぁ、と思います。


 とまぁ、僕も月並みのように「ターニングポイント」というのを考えてみるわけですが……本日は元・職場の書店に寄ったら、本屋大賞受賞」の帯が早くも掛かっておりました。……あざといなぁ……。

*1:正確にはmixiで何人かいらっしゃったのですが