無視される寓話

 踝祐吾の97%は○○からできています土曜日。しかし、ここまで更新をさぼってると忘れられそうですね(苦笑)。ブログになってから毎日更新の枷を自ら外したためか、さぼり癖が付いてしまったなぁ、と思います。MTだと本をamazonbk1で紹介しにくい、ってのもあるんですが、それ以前の問題でしょうね、きっと。mt-sukerokuは楽なんで、今後も使っていく予定ですけれど、いかんせんブログ全体が重いと感じることが多々あります。カスタマイズのしすぎなのかなぁ。なんか違うような気はしますけれど。Firefoxから投稿したら軽くなったりして(ンな馬鹿な)。


 ゴールデンウイークに突入してテレビをだらだらと見ているのですが、戸塚ヨットスクールの戸塚校長ヤンキー先生こと義家弘行さんと対談しているのをついつい見てしまいました。教員時代の未練なんでしょうかね(苦笑)。

 で、戸塚校長のやり方は石原の慎ちゃんとか応援していて、支持する人もいるらしいんですけれど、誤解を恐れずに言うなら、僕は戸塚宏という人間そのものが嫌いです

 理由は別に方針とかそういうものでは無しに(人間は生まれながらにして理性を持たない、というのは僕も同感で、教育思想には共感する部分は少なくないけれど)、テレビを見る限りでは人の話を全く聞かねぇんだもん。コメンテーターの一人が指摘した部分でもあるんだけれど、上段から相手を見下すようにしゃべり、人の話を平気で遮って持論を展開する。あーた何様のつもり? 人の話を聞く時は目を見て……と宣っている人が相手の話に聞く耳を持たない、というのは矛盾しているような気がします。ダブルスタンダードの教師は通常の学校では嫌われるし、尊敬の対象には絶対ならないでしょう。この人がすごく不器用な性格だというのをさっ引いたとしても、どの口が教育を語るの? という気がするのです。てか、入学者の4分の3が退学している事実からこの人は目を背けてはいけないように思うんだけどなぁ。


 ただ、スパルタが決して悪いとは言いません。言いませんが、それは「指導」であって「教育」ではないような気がするのです。両者の違いを明確に申し上げることは難しいですが、教育って指導だけでなく、アフターケアやその他のことも全部ひっくるめて言うのだと思うのですよ。ただ、テレビで見る限りこの厳しさは学校ではなく、部活の厳しさなのかなぁ、と思います(一応部活にも教育の一翼を担うという目的があるので、一概には言い切れませんが)。

 まぁ、テレビで見られるのは一部分だけですし、戸塚ヨットがどういう方針で進めているのか知りませんが(講師は軽蔑されてなんぼ、それを乗り越えてこそ……というのでしたら、愛される教師像云々を語るのは全く無意味でしょう)、多分彼の語りを聞くことはないと思います。たとえ生徒たちからしたわれていようと、ですかね。


 うーん、書いていくうちに難しい話になってきたので今日はおしまい。たまにはアウトプットしないといけませんものね。ブログには書いてませんが、漫画を中心に色々読んでます。そのうち気が向いたら感想をアップしようかな。