合い言葉はny!(二度目)

 遠い歌を口ずさむ金曜日。昨日はあれだけハイになっていながら、今日になってやる気ゼロモードに陥っています。文章だけなら何も考えなくても浮かぶんだがなぁ。どうやらネタの枯渇にあえいでいるらしいです。ヤバイネ!


 ネタの枯渇といえば、京都府警もネタが枯渇したのか、あからさまな別件逮捕で暴露ウイルス作成者逮捕をしてくれました(こう書くと語弊があるのでしょうが)。実際法律がないってのが一番大きな理由らしくはあるんですが、ここまであからさまなのは同時に権力の恣意的な運用の懸念を産み出すわけで、そうなると僕らみたいなユーザーサイドの人間にとっては著作権法の改正だったりする部分を注意深く見ていかなければなりません。ただ、本来為されるべきことが為されたという意味では、正常なのかな、とも思います。


 しかしながら、ウイルス作者が捕まってもウイルスは共有ソフトを使っている人がいる限り、流出ファイルと共にネットの海を彷徨い続けます。すでにそれは人間の意志を離れ、除去されない対人地雷のように、次に踏む人間を待ち続けるのかも知れません。何かを作るということは、それがどういう形であれ、自らの意志に反した用意もされうることになるということです。たとえ「悪用厳禁」と表示をしてプログラムを公開したところで、(建前上)禁止されている「意図しない行為」をする人はいるでしょう。道具とはそういうもので、作った人の意志に反するものなのです。そして、全ての道具は作った人の意志以上に、使った人の意志を重視するべきでしょう。そして、それはコンピュータプログラムにおいても同様で、観念上は「作った人間」は「使う人間」に干渉すべきではないと思います。そして、作った人間が責任を負うならば、それはその本人が建前上禁止されている悪意ある利用方法を実行した時に為されるべきなのではないでしょうか。