人の噂も七十五日、だが決して消えはしない

 ちょっと体調悪いかも月曜日。そういえば前回のエントリで僕は「かんなぎ休載の件でちょっと」をブクマしたときにこんなコメントを残したのでした。


作者の意図に賛同するも反対するも自由だと思うんだけど、作者の意図のない作品なんてあり得るのだろうか。あと、「みのもんた」の多くが騒動に対してはあまり肯定的じゃないように見えるんだけど気のせいかな。(はてなブックマーク - かんなぎ休載の件でちょっと)


そのお返事が来てましたのでちょっと返信っぽいことを。なんか言及の意図がずれた部分があって申し訳ないのですが。


騒動に否定的言及を行うこと自体がこの騒動を拡大させているわけです。(当然ブクマする行為そのものも含まれます)

(引用者中略)

ちなみに、このエントリで言いたかったのは、確かにこのような騒動は良くないけども、果たしてそれを批判する資格があなたに(そして自分に)あるのかということでした。もう手遅れかもしれませんが。(かんなぎ休載の件でちょっと)


ちなみに、再発防止について(?)議論している方もいるようですが、その点についての自分の見解は「騒動の根絶よりも拡散阻止を以って対処せよ」というものです。例の写真や告白などはどう考えても劇場型のあれであって、観衆が少なければ起こらなかったのではないかと思っています。楽観的過ぎるかもしれませんが。(http://anond.hatelabo.jp/20081206183946の続き)


 この構造ってのは今回の件に限らないし、別の方もおっしゃってたけれどもネットそのものの構造問題ではある。世界的口コミネットワークであるネットにおいて、人の口に戸は立てられないし、それを「炎上」と呼んだりもするのだが、残念ながら、それをすぐシャットアウトできるほど人間ってのは利口にできていないんじゃないかとも思う。なぜなら「炎上」の原動力は怒りであるため、その怒りを即時的に外部に発散しやすいってのはネット社会の一つの特徴ではある。いわゆるネットを批判する方々にとって「ネットが怖い」と感じさせるところはまさにこの辺なんだろうし、ネット害悪論を唱える人々の、思想の根底をなしている部分じゃないかとも感じている(余談だけれども、その辺は大手マスコミの「ネットスルー力」を認めざるを得ない。ネット系ミドルメディア(まとめサイトも含む)の「炎上」への対応力と比較しても、そのスルー力は異常とも感じる。そこがネットから叩かれる所以でもあるんだろうけれども)。


 「一億総みのもんた化」……というのは、おそらく「一億総久米宏化」でも「一億総筑紫哲也化」でも「一億総古舘伊知郎化」でもいい。少なくとも、(自分も含めて)俺にしゃべらせろ、という意識がなくならない限り、今後もこういう騒動は繰り返されるし、残念ながら元増田氏が望むような事態にはならないだろう*1。こうした騒動を起こさないためには、簡単に言えば「ネットを捨てる」がもっとも効果的なのだが、時計の針を元に戻すことはまずできない。


 単純に叫ぶ場所が欲しいだけなんだよな、みんな。たぶん。その感情は否定はしない(納得はしないし、理解はできないけれど)。そう理解できれば、たいていのネットのもめ事はなくなるが、同時にネット議論も消える。それでは成熟も拡大もしない。その辺、やっぱりバランス感覚ではあるんだろうけれど。

 なので、そういった騒動に自分を巻き込まない自制力ってのは、常に考慮すべきことなのかもしれません。単純に黙っていれば炎上に巻き込まれることは絶対にないでしょう。が、それをユーザに求めるのはあまりにも理想論なので(じゃなきゃ2ちゃんとかはここまで流行っていない)、物事をしゃべるためには読み手のことも考えた方が良いでしょう。これは常々書くようにしてますし、僕の持論ではあるのですが、ネットに書くと言うことは辻説法と同じであることをもう少し広めていく必要がありそうです。それは今回の騒動に自らを巻き込んでいったすべての人が反省すべき点であるのかもしれません。

*1:余談だが、僕がウエブ日記を書き始めたきっかけが中国あたりが日本を批判しただかのニュースだったように思う