だから「みんな」って誰と誰と誰だよ

 僕らはみんな生きている木曜日。エイプリルフールのことで触れるのが遅れてしまいましたが、オールスター感謝祭で河本さんが大ケガをしていたそうで。微塵も気付かずに僕は笑っていましたが、後から考えると怖いなぁ……。テレビに毒されすぎなのかも知れません、自重しないと。しかし、これで感謝祭打ち切りなんてことになろうものなら、僕が地デジパソコンを買う理由が無くなってしまうなぁ、と思ってみたり。まずはあまり無理しないで養生していただきたいものです。


 話は変わりますが、「みんなやっているんだから」って子どもの論理ですよね。しかしながら、大人になってもその論理って多く通用するわけで、自分の都合のいい意見を拡大解釈して100%他の人が言っている意見に見せてしまうというのがありますね。子どもの頃は「みんな持っているんだからアレ買って」というと、親は「みんなって誰よ」と返事をしたりします。ここが結構重要で、この“みんな”を具体化させることで反駁意見に筋を通しやすくすることが出来ます。「みんな持っているんだから」「みんなって誰よ」「あきおくんでしょ、ゆうすけくんでしょ、それから……」「ほら二人だけじゃない」となる。屁理屈かも知れませんが、抽象的な言葉を具体的な内容に置き換えることによって、相手の視野の狭さを指摘し、落としどころを見つける……というのはこの種の議論には必要なテクニックでしょう。


 最近ではインターネットの普及によってこの論理を見ることも、それに対する反駁を見ることも増えてきました。古くは「特定アジア」議論や、最近だと著作権やマンガアニメのゾーニングにおいて「欧米の基準に合わせて~」というのも見られます。「じゃあその欧米って具体的にどことどこ? で、それらの国々は現状に満足してるの?」と問いただすことにより、その方法を日本にそのまま導入した時のメリット・デメリットが見えてくるでしょう。都合のいいことを書くだけであれば、論理として成立しません。自身の議論に対し、論理的に「反例とその対策」を付加してやるだけで、説得力は十分増すように思うんですけれどねぇ。実際はそう出来てない人って一杯、というのが難しいところなのかも知れません。