「バトロワを読んで『人を殺していいんだ』と言うようになった子供の何と多いことだろう」という大人のなんと多いことだろう
とりあえずそういうこと言っているお前らはちゃんと読んでから批判したのかと。エンターテインはエンターテインで割り切れているかと。
そういう人ほど『泣ける映画』を求めるんだろうね。世の中にはそんなこと滅多にないってのにな。
これの続きになるのかな。
加害女児のサイトには「人を殺すのは許されないからしません」という言葉が書かれていたという。
これ、僕に言わせれば綺麗事でもなんでもない。ただの本音にすぎない。
「人を殺すのは許されないからしません」
どうも僕はこの太字の部分が引っかかってしょうがない。
その根底には過去の「酒鬼薔薇事件」より脈々と受け継がれた
『なぜ人を殺してはいけないのか?』という倫理的な問いが隠されているようにならない。
つまり、「人を殺すと言うことはそれ自体が許されないから(自分は)行っていないのだ」という裏返しに僕には読めてしまうのだ。
これはゲームやインターネットというフィールドに展開されるべき問題ではないように思う。
ゲームや漫画、小説で殺人を扱わなくても、現実に殺人事件は年に1400件起こっている*1。
ともあれ、現在この国では一日平均86人の人間が自殺し、少なくとも4人の人間が殺されている。
この現実を直視せず、ゲームや漫画などに答えを求めてもしょうがないと思うのだが。閑話休題。
ともあれ、この問いが繰り返されるようになったのはいったい何がきっかけだったろう?
目の前の人間を永久に消したい、という人間が増えてきたのだろうか?
自分が生きやすくするためだったら、ただ単にちょっとした距離を置けばいいだけの話だ。
サイトにいやなことを延々とかかれるならば、閉鎖してインターネット自体と距離を置けばいい。
その間に、クーリングダウンをすればいいのである。
それともそこまで学校で取り扱わなければいけない時代になってきたのかい?
友達とのつきあい方まで教科書で学ばなければいけないのかい?
日本の義務教育は画一的、統一的になりつつあるからさ、ストレス待避装置がうまく機能しなくなりつつあるのかもしれないね。そんな感じかも。