ゆとり教育の罠

コラム: ゆとり教育の罠焚書官の日常 (4.4.0)より)

とあるゲームサイト(ぶっちゃけた話、人狼BBS)では、「考えるのが面倒」と言って何も考えないでゲームをするプレイヤーが急増して困っているという。人狼というゲームは推理とブラフ、交渉の要素が非常に面白いゲームなのに、そこから考えることを抜いたら何が残ると言うんだ。どうもおかしい。考えるのは面倒なことではなく、楽しいことのはずなのに。考えたいからこそわざわざゲームをやっているというのに。

何かこれ、「自分探し」とかぶっている部分があるような気がするなぁ。自分の基礎も何もないのに、ただ「流行っているから」だけで動いてしまう。そして評判やランキングだけで受けるベストセラーが存在するし、中身のない物語だけがもてはやされている。そこに考える余地は存在しないからだ。

考えることや新しい情報を知ることを楽しいと思えない若者が増えている。ゆとり教育の目指すところと逆の結果になっている。しかし、「ゆとり教育」と称して実際何をやったかを考えれば納得はいく。ゆとり教育は環境を整えるだけで、根本的なことは何もやっていない。いや、何もできないと言った方が正しいだろう。楽しいと思えないことを無理やり楽しいと思わせるのは不可能なのだ。

僕の学生時代でも今でも結局は「勉強は大変なモノ」であったし、結局は勉強というモノは『させられている』モノであって『自らする』モノではない。……その辺が一番の問題のような期がしますね。世の中みんなが「本を与えられればそれで幸せ」な人間になるわけじゃないし。

結局勉強そのものを楽しませる努力が足りなかったのが問題かも。現場との乖離もあったんだよなぁ。原因は色々ありそうです。